日本の活字

四、pp.39-48

四 三谷氏と私はしばらく顏を見合せてゐた。病人は細君に涙を拭いて貰ひながら、くるしい呼吸づかひだが、滿足氣であつた。 大震災當時のことだから二十年ちかくもならうか。共同印刷會社の第一製版工場で、私も三谷氏も同じ植字工だつたのである。その當座…

三、pp.27-39

三 昭和十六年の夏になつて、ある日H君といふ若い人が訪ねてきた。會ふのは始めてだが、私がいつか書いた印刷文獻に關する隨筆が縁になつて、「本邦活版開拓者の苦心」といふ書物を送つてくれ、二三度文通したことがある。H君は關西の人だが、最近上京して…

二、pp.14-27

二 私はときをり上野の帝國圖書館や、九段下の大橋圖書館に通つて、印刷に關する文獻を讀み漁つた。そして印刷に關する書物では、大橋圖書館にくらべると、やはり上野の圖書館の方がはるかに豐富であつた。 私はそこで「世界印刷年表」とか、「印刷局五十年…

一、pp.3-14

一 活字の發明について私が關心をもつやうになつたのはいつごろからであつたらう? 私は幼時から大人になるまで、永らく文撰工や植字工としてはたらいてゐた。それをやめて小説など書くやうになつても、やはり活字とは關係ある生活をしてゐるのであるが、活…