2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

世界文化連載分、五

「嘉平の活字」は、「昌造の活字」とくらべると、こんなに性質も色合もちがつていた。そしてこんな性質と色合のちがいのうちに、日本木版印刷史の終末があり、嘉平の生涯は、一方で、その挽歌をうたつたのだけれど、また一方では、解體せざるをえない「江戸…

世界文化連載分、四

木村嘉平、三代嘉平がどんな人柄であつたか? それを知るに充分な記録は、まだ無い。昌造とともに、身分的にひくかつた嘉平について、じつは日本人にとつて記憶さるべき、この二人の人物について、今後も、そういう記録をもつことは、出來ぬか知れない。現在…

世界文化連載分、三

一方で、「昌造の活字」のみなもとをもとめて、「上海」をさがしながら、一方では「嘉平の活字」の、てづるをもとめて、春から秋まで、くらしてしまつた。私のような場合、圖書館とか、個人の文庫とか、專門の學者を訪ねるとか、それ以外の積極的な方法を知…

世界文化連載分、二

數日後の曉方、弟の遺族にわかれた私は、鹿兒島驛に着いた。まだ眠りからさめてないような驛前で、小さい喫茶店をめつけて、つめたいパンと、規格コーヒーというのをのんだり、便所わきの水道栓で顏を洗つたりしたが、それでもまだ七時である。 紹介状の名宛…

世界文化連載分、一

昭和十八年三月のある日、私は“嘉平の活字”をさがすため、東京發鹿兒島行の急行に乘つていた。伴れがあつて、七歳になる甥と、その母親の弟嫁とが、むかいあつてこしかけているが、厚狹、小月あたりから、海岸線の防備をみせまいためか、窓をおろしてある車…