よせくる波

四、pp.175-195

四 砲數門を備へた露米會社軍艦「ユノ」「アウオス」の二隻は、同社勤務海軍大尉フオストフ、同少尉ダヴイドフに率ゐられて、わが北邊を再度にわたつて襲撃した。文化三年十月、樺太大泊に兵三十名をもつて上陸、松前運上屋を襲撃、日本人四名を捕虜とした。…

三、pp.162-175

三 十八世紀末から十九世紀へかけて、日本を訪れる黒船の數はしだいに頻繁となつたばかりでなく、一波また一波、あらたに寄せてくる波は、かへした波のそれよりもグンと大きくなつてゆく觀があつた。しかも鎖された國を脅やかすものは英、佛、露のみではなく…

二、pp.148-162

二 嘉永六年(一八五二年)アメリカの黒船四隻が浦賀へきて、日本をおどろかしたと謂はれるが、そのおどろきの劃期的な意義は、おそらく黒船の形にあつたのではなからう。長崎港を無視して、禁制の江戸灣へ侵入してきたことと、不遜にも武力をもつて開國を迫…

一、pp.139-148

一 私はむかしの長崎繪圖を都合三枚みることができた。最初の一枚は帝國圖書館でみたもので、安永七年の作である。あとの二枚は友人Kの蒐集したもので、Kの鑑定によると、一枚は天保年間とおぼしきもの、いま一枚は慶應二年頃と判斷されるものである。 安…