一 第三囘めのロシヤ使節が長崎へ來た嘉永六年は昌造三十歳であつて、この年はじめて父となつてゐる。當時の慣習からすれば晩い方であらうが、妻女縫はこのとき十五歳で長男昌太郎を産んだのである。三谷氏の「詳傳」家系圖によれば、縫は養父昌左衞門と後妻…
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